民芸品と貴族品


 私達は次のような反駁を相も変わらず繰返して受ける。「民芸品ばかりが

美しいのではない。貴族的な作品にも美しさがある。結局双方に美しいもの

があり、又醜いものがあると見るのが妥当である」。こう私達は丁寧に教わ

る。所謂自由批評の立場にある者が誰でもいう言葉である。そうしてそれは

民芸の美を説く吾々の主張が偏陂なものに過ぎないのを訓すのである。

 だが私達はこんな批評を今更聞いて苦笑する。そんな批評は誰も持ち合わ

せている常識に過ぎない。いくら吾々が不明だと云っても、重々知り尽くし

ている真理である。否、そんな真理なら恐らく吾々の方がもっと切実に知り

ぬいているであろう。私達は物が好きなのである。美しい物に対してはいつ

も迅速な準備を用意している。昼も夜もそれ等のものを愛して暮らしている。

直観の前には最初から物の上下はない。何であろうと美しいものは美しく醜

いものは醜い。私達の心は美しいものに向かって決して閑散ではない。

 私達は自由批評の価値を浅くは見ない。併し浅い自由批評は真に閉口であ

る。彼等は通俗的な真理以上の何ものをも私達に与えはしない。だから彼等

の言うことに力はない。力を欠く批評にはどこか嘘がある。物の美しさに就

いて吾々はもっと勉強しているつもりである。

 民芸に就いての批評を読むと、物に即して述べたものが殆どない。大概は

物を見ていないで、物に就いて述べるのである。ここで物を見るというのは、

必ずしも沢山見ることを意味するのではない。沢山見ていても、てんで見え

ない人が如何に多いことか。見る量ではなく見る質をいうのである。批評家

の中にこの質を有った人が如何に少ないかに驚かされる。私達はこの明盲の

忠告に厭き厭きしているのである。多くは物を見ないのであるから、又は物

が見えないのであるから、見方を得るためには概念でそれを組立てるより仕

方がない。だが思想で美の問題を片付けて了うより馬鹿らしいことはない。

見当違いな議論で私達はどんなに非難されたことか。併し藁人形を勝手に作っ

て、射的したとて遊びに過ぎない。当たるには当たっても、当たったになら

ぬ。民芸はそんな藁人形ではないのであるから。

 若しも批評家が、その一割でもよい、真に物を見ている人達であったら、

世界の美に対する見方は大変な変り方をするであろう。頭でいうより、先づ

物にぶつかって美しさを見届けてくれたら、今更吾々が民芸のことなど云々

する要はなくなるのであるといつも思う。

 私達が敢えて民芸の美を語り始めたのは、一つにはこの分野の美に就いて

殆ど語る者が他にいなかったからである。「民芸」という字句すら吾々で考

案するより仕方がないほど、この領域のことが省みられていなかったからで

ある。実際今から十年も前は民芸品に市価らしい市価がなかったのでも分か

るではないか。批評家は今でこそ「貴族品にも民芸品にも共に美しさがある」

などと公平にものを言うが、つい先日までは民芸品のことなど振り向きもし

なかったのである。私達が用いた「雑器の美」という言葉が当時如何に奇怪

な突飛なそうして無謀な言葉にとられたことか。その惰性でか、反逆的な見

方と今でさえしばしば想われている。私達は公平な自由主義者の口から、じ

かに民芸の美に就いて教わったことはない。彼等の所謂公平な批評は私達の

主張のあとから製造したものに過ぎない。最初彼等から教わったなら、私達

は今更鸚鵡返しに、その美を説きはしないであろう。何の権威があって「民

芸品にも美しさは認められてよい」などと上手に出るのであるか。第一「民

芸」という言葉すら、概念すら彼等は昨日まで持ち合せてはいなかったので

ある。どこにどんな美を見ていたのか、私達はひそかに訝る。批判を出す前

に先づ物を見よ、そうしたらどんなに私達はお互いに親しく話し合うことが

出来るであろう! 物を見ない人達とは実に話しにくい。通じるところが殆

どないからである。

 だが私達は何も人々が民芸に就いて今まで省みなかったから、代わってそ

れを語ったというだけではない。私達はもっと積極的にその美しさに心を惹

かれたのである。仮に多くの者がその美を見ていたとしても、よもや私達ほ

どそこから多くの悦びや教えを沢山貰った者はあるまい。私達の多くの言葉

は謂わばそのことへの感謝のしるしとも云える。だが私達の眼にぢかに映っ

た場面は、永らく私達が教えられて来たものと似もつかぬものであった。だ

から私達は在来の見方に幾多の修正すべきもののあるのを目撃した。その結

果吾々の知り得たことは、在来の美の標準に如何に間違いが多いかというこ

とであった。私達の意見が反抗と取られたのは、かかる修正を意味していた

からである。どの分野でも改革的な仕事は先づ非難を受け誤解を受ける。

 私達が教わった見方はこうであった。最も美しい工芸品は、殆ど天才の所

産であり、又王侯貴族の保護で出来た貴重な品物の中に発見されると。従っ

て在銘のものが尊ばれ、歴史家も何某の作であるかを探求することに熱中す

る。実際この傾向の中に私達は育ち、そうして今尚この傾向が一般を支配し

ている。だから私達は民芸に就いて今まで殆ど何事も教わる所が無かった。

文献を省みるなら如何にこの領域が寂漠たるかを了解するであろう。昨日ま

で批評家の声は次のようであった。

 雑器の如きは粗野なもので、別に省みるほどの代物ではない。立派なもの

は皆有名な作者のものに限るので、少数の貴重な高価な品でなくばよいもの

は見出し難い。たとえ作者の名が知れなくても、それは当時の天才であった

に違いない。沢山出来る安価なものや、一般の庶民が使う実用の品は始めか

ら上等なものでない。だから、もともと美しくなる機縁が薄い。美しい品は

美しさのために作られた品に見出されるのが当然である。工芸品は美術的工

芸品となって始めて美しくなるのである。美への天才が手づから作ったもの

や、美術品を志して出来る貴重品に一段と美しいものがあるのは当然である。

これが今までの見方であり立論であった。

 所が私達は何を見たか。二つのことがぢかに眼に映った。一つは右のよう

な上等品には美しいものが却って少ないこと。一つは庶民の使う民器には美

しいものが非常に多いこと、正に今までとは逆ではないか。ここで繰返して

云う。私達は天才の作や貴族品に美しいものが無いなどと嘗て云った覚えは

ない。只そういうものには、却って病的なものが多く健康なものが少ないと

いうことを指摘したのである。そうして今まで不遇な位置に棄てられている

民衆的な無銘の実用品に、美しいものが非常に多いということを断言したの

である。

 必然批評家が今まで殆ど一顧だにしなかった民芸の価値を強く説いたので

ある。だがその結果、宛ら私達は民芸品でなくば美しいものはないと説く者

のようにとられた。そうして「美しいものは貴族品にも民芸品にもある」な

どと教えられた。併し寧ろそのことを説いたのは私達ではないか。そうして

今まで何故批評家は、「民芸品にも美しさがある」ことを一語も説かなかっ

たのか。そう私達は詰問したい。

 だがそのことはどうでもよい。私達は次の数々の真理に就いて、とくと聞

いてほしいのである。

 何も天才ばかりがよい仕事をするのではない。無名の凡人からも素晴らし

い品物が作られているのだ。否、沢山いた工人達であってこそ始めて生み得

る美しい品もあるのだ。工芸の世界では或る時期の凡人達は素敵な役割を勤

めていたのだ。彼等が美の世界に寄与したことは素晴らしく大きいのだ。例

えば近時やかましくなって非常な市価を呼んでいる「呉州赤絵」を見よう。

何も天才の製品ではなく、当時の凡々たる無学な工人達の所業なのだ。しか

も安ものの輸出品であった。支那の貴族達はこんなものを振り向きもしなかっ

た。だが今日の天才だって、その美しさに迫るのは至難の至難ではないか。

天才だけがよい仕事をするというのは、工芸の世界では嘘の嘘である。だが

それはどうでもよい。凡人に素敵な仕事が出来るという真理が、吾々に絶大

な希望を与えるのである。今日そのことが出来にくいのは、社会の事情が悪

いので、民衆そのものに変わりはない筈である。

 又こう云ってもよい。今までは少量より出来ない貴重なものに最も美しい

ものがあると説いている。だがそういうものによいものがあっても、実際は

少ないのだ。工芸の領域では寧ろ多量に作られる普通の品に素晴らしいもの

が現れているのだ。何も凡ての民器がよいわけではない。併し民器に美しい

ものが夥しくあるという事実を否定してはならないのだ。否、沢山作り安く

売るような事情のもとでなくば生まれてこない美しさがあるのだ。多量とか

安価とかをすぐ美と背反するもののように考えるのは錯誤なのだ。実際理想

としても、若し多と美とを結合させ得るなら、それに越したことはないでは

ないか、美を少量な高価なものに追いつめるのは理想からは遠い。何の幸か、

工芸の領域では沢山作られた並の品に見事なものが生まれている。私達はこ

の真理をもはや疑うことが出来ないのだ。何より品物が目前にそのことを示

してくれる。

 私達が特に強めてよい点は、工人達が多量に作る品と美とが結合し得ると

いう事実である。それならこの方向にもっと意を注ぐのが吾々にとって一層

大切な務めではないか。だから等閑にされた民芸の美への注意を宣揚するこ

とに私達は特別な使命を感じたのだ。

 だがここで私達は美学的にもっと重大な真理を提出することが出来る。直

観は私達に次のようなことを示してくれた。個人的な作品や貴族的な品物で、

美しいものを選んでくる時、それが概して古い時代のものに多いこと、次に

は比較的単純な手法、形態、紋様を有つものに多く現れていること。これ等

のことは面白い幾多の真理を含んでいる。第一の古い時代というのは、未だ

美術と工芸とが劃然と別れていない時期を語るのであって、言い換えれば上

手、下手の差のまだ少ない時期である。

 従ってその頃は貴族的な品物につきまとう病弱さが未だはっきり現れ始め

ていない。だからかかる時代のものは貴族的な品でも未だ健康である。又技

術、手法が簡単なだけに、人為的造作が少なく、それだけ自然さが多い。従っ

て模様も形も単純で間違いが少ない。然るに後期のものになると、贅を尽く

す結果、色々の病弊が現れ、技法が錯雑となり、繊弱に流れ、神経的なもの

に陥り、趣味の過剰に堕し、末葉に走って本体を離れてくる。この弊がある

ために、貴族的なものでよいものは甚だ少ない。裏からいうと却って質素な

趣きを有つものに優れたものが多い。だから、「貴族的」ということ自身は

決して美の一義的素因ではないことが分かる。それ等の品を美しくさせてい

るものは、寧ろ単純さとか自然さとかいうことであって、贅沢な豪奢なもの

は却って美と反発することが多いのである。

 然るに降って民衆的な作物に来ると、どんな光景が現れてくるか。その性

質に基づいて用途は品物を病弱にさせない。手法は努めて混雑を避ける。形

も模様も簡素を求める。それ故民芸は遥かに安全な状態で製作される。健康

な自然なものが多いのは当然である。この事情を省みると、民芸品の方に遥

かに古作品と通ずる要素がよく保存されていることが分かる。それを粗野な

品と見るのこそ粗笨な見方であって、あの卓越した直観を有っていた初期の

茶人達が、随喜の涙を流したのは、殆ど民芸品のみであったことに想い当た

ると、その美しさに測り知れないもののあることを納得されるであろう。

 それで私達は美の標準を、寧ろ民衆的な作物の中によく求めることが出来

るのである。そうして貴族的な作品で美しいものを省みると、それ等のもの

に限って民芸品を美しくしているのと同一の法則、即ち簡素とか健康とかい

う性質に基づいていることが分かる。だから民芸の美を了解することと、工

芸の美全般を了解することとには密接な関係が生じる。美しいものは貴族的

なものに限るような見方、或は貴族的なものは民衆的なものより常に優れて

いるとする考え方は、共に物に即した理解ではない。私達が特に民芸を重要

視するのは、そこから美の性質を多分に教わるからである。

 これに加え私達が最後に主張したいのは、美の王国の建設に対して如何に

民衆的作物が重要な役割を勤めるかという点である。少数の天才が作る少量

の品、僅かな人々だけが購える贅沢な貴族品、それ等のものだけが美しくなっ

たとて美の王国は到来しない。私達はもっと大衆から生まれ、大衆のために

作られ、大衆によって使われる多量の作物を美しくする必要がある。そのた

めには、かかる作物に美が可能であるという事実、進んではかかる作物であっ

てこそ生み得る美の存在、そうしてそれ等の美がどんな性質を有っているか、

これ等のことへの正しい認識が必要である。民芸美への認識が如何に美的に

も社会的にも緊要であるか、繰返す要はないように思う。

 まして生活に美を交えしむる点に於いて、即ち生活に美を即さしめ、生活

に即した美を生ましむることに於いて、民芸の意義が如何に大きいかを熟知

してよい。美は少数の人々の所有であってはならない。一般の人々の不断の

生活に浸み込んでゆかねばならない。この使命を果たそうとするなら、民芸

の興隆を念ぜねばならぬ。その消長はやがてその文化の美的軽重を計る試金

石となろう。偉大な時代は常に偉大な民芸の創作者であり又使用者であった。


                   (打ち込み人 K.TANT)

 【所載:『文芸』 五の二 昭和12年2月】
 (出典:新装・柳宗悦選集 第7巻『民と美』春秋社 初版1972年)

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